10月16日から、長崎国体の陸上チームに帯同しています。

簡易的に国体陸上ケアの様子を掲載いたします
宿泊先の回線から短時間でのアップの為、説明などが不十分なことを
お許しください。
期間終了後、改めて体裁を整えます。

情報






道具屋に到着し、早速、仕事場を設置
これから1週間弱お世話になります。
わたしのニュース映像からの推測では、天皇皇后両陛下がご宿泊なされたのは、ベッドの頭側
上の方の階かとおもいます。
市民がボンボリを振って行列してたのは、窓に映っているあたりの下、本名川の対岸ですね。






早速治療開始




大広間で夕食です。
たいへん美味しく、国体としては豪勢でした。
17回も行ってますからわかりますが、今回は「当たり」です。
当県選手団なので特によくしてくれているのかも?
ちなみに、同宿は東京と京都チームです、他は長崎市宿泊でたいへんです。




仕事が終わり、入浴し一服。
お酒飲んでます・・・許してください。
このあと急いで明日の用意して、就寝です、AM1:30頃でしょうか。
明日から加速度的に忙しくなりますが、今年は大久保先生が助っ人に来ます。




[10月17日]

今日は練習日で、実際のトラックやフィールドを使って選手たちが練習を兼ね、感触を確かめます。

九州勢の選手監督など、関係者テントは競技場向かって左側の「旧投擲練習場」となります。
なぜこんな場所かというと、競技場はもちろん、コールの場所、サブグラウンドもちかくて最高の位置取りなのです。


TEAM長崎のテントで開催県なのでテント2つ分(いつもはは1つ)使え、かなりの余裕で快適です。


早速、施術室を設営





サブトラックでの練習風景


メインスタジアムでのチェック
スタジアムスタッフや関係者も最後のチェックをしています。









九州以外他府県テントスペース(競技場前)
がんばらんば大会でのケア活動は、この場所と予想されます。

この日は、多くの我が県選手は現地練習を午前で終了し「Aコープレストラン」で食事を済ませ、宿舎に帰りました。
Aコープレストランは、十数年前に、青年部立ち上げ時期の会議&食事で、わたしが初めてM坂先生と逢った場所です。
彼もわたしも今より痩せていましたね・・・。
ちなみに団体で食事をすると、会議室代金は無料だったはず。
昔懐かしいタイプのレストランで、宴会もできます。

今夜からO先生に、予定より早く入ってもらう予定です。



終わって一息ついています。
今日は夜間ミーティング後、皆で円陣組んで気合の雄叫びで終え、トリートメントに入りました。

国体では、ケアを受けにくる選手たちの症状や場所、経緯を聞いて、それこそ「嫌〜な予感がする」年と
「先行きが明るそうな」年、があります。
もちろん調子が良くても結果がついてこなかったり、また選手層の厚みも年によっていろいろですから
絶対ではないのですが、良いにこしたことはありません。
今年は「良い」ですね。
選手はもちろん、各指導者、強化部の方たちの調整、仕上げが素晴らしかったのでしょうね。

国体にくると、こんなに体を動かし、あまり寝てもいないのに太って帰るのが悩みでした。
「普段は三食きちんと食べないのに宿舎では食べるからねぇ」なんていってましたが
今回、ブログ風に掲載してて気づきました、そりゃ太りますって・・・深夜0時にこんなの食べてるのだから。

左のお菓子は梅月堂の「長崎焼きモンブラン」です、最近民宿たかひら亭(高比良先生宅をそう呼ぶ)でだされ
あまりの美味さに、どハマりしているお菓子です。
今日の昼に熱く語ってたら、用足しついでにスタッフが買ってきてくれました。
隠れた銘菓です、皆さんも一度お試しあれ!




[10月18日]





ついに陸上競技が開幕しました。
開場を前にして、大勢の観覧客が今や遅しと待っています。

  
永田駿斗くんが4位入賞しました!2位から4位まではほとんど差がなかったので本人は悔しいとおもいますが、すごいです、おめでとう!




宿舎でトリートメントを行います。
ベッドは2台あるのですが、もう一台をテントに置いてきたので、マッサージは布団を使います。
O先生が臀筋を緩めているところですね。



仕事後に、ささやかな幸せ。
今回は気を使って、アイスも発泡酒も「糖質オフ」ですよ、「今更悪あがきでしょ」の声が聞こえます。
ちなみに、普段わたしは一切晩酌しません。
そんな程度なので、発泡酒、ビールのこだわりもありません。

道具屋さんの夕食がボリューム満点なので、わたしもO先生も「明日は朝食抜き」を決めました。



[10月19日]



国体では多くのスポーツ関連企業、メーカーが「新製品・一押し製品」などを展示します。
競技場前では展示のみしか許されておらず、販売スペースは、広大な芝生広場にあります。



地元関連飲食関連も出店されています。
ここの場所は内村体育館の一部スペースであり、陸上はさらにたくさんの県産品販売や飲食販売スペースが確保されています。

       

森林未来さんが、少年B(中学3・高校1年)の1500mで2位に入りました。
4.22.83は、県中学新でとんでもない記録です、末恐ろしい新星ですね。



[10月20日]



  

棒高跳です。
下の写真はK選手とU選手です。
コンパクトカメラを使った割には、決定的瞬間を捉えたな・・・と自負しております(笑)
観客席でもこの場所は「監督・コーチ」のIDがないと入れない席で、棒高跳びなどのフィールド競技の選手へコーチが
客観的な視点からアドバイスすることができます。
 実はこの、声をかけている方のU選手は去年まで同種目で国体に出場していまいた。
確かに国体に選ばれるということは、その時の力や運も含めた「結果」が全てです、二人はライバルであり、落選すれば
悔しさも並みではありません。
双方を知るわたしは、正直二人の関係を心配していました。
ところが、しばらくして二人がプライベートでも釣りなどにでかけ、この舞台では、一所懸命アドバイスし、それを聞くK選手。
やっぱりスポーツマンは素晴らしいとおもいます、さすがアスリート同志です。
 ちなみに、海がほとんどない県からやってきたK選手、Uくんと一緒に行く釣りにハマっているいるそうで、とても楽しいと
のこと、わたしがこれまでの釣果を聞くと「いままで5回行って、まだ釣れたことがありません!」
「・・・・・・・」   わたしなら2回行って釣れなければ止めてしまいます。

[追記] 先日、6回目の釣果が「坊主」で終わりそうだった日、帰る間際に、U選手に竿を借りたところ、初めて1匹釣れたそう。
     「やっぱり釣りっておもしろい!」という彼は、自分が一番ナチュナルに面白いということに気づいていない・・・。
     こんな二人を愛さずにはいられないでしょう?。



試合直前、ハムストリングに違和感を感じた選手に「 I 式 Xテープ 」を施行します。
予選、決勝と自己ベストで入賞しましたので、ホッとしました。

     

国体には、我々のような各県で帯同するトレーナーのほかに、陸連直属のトレーナーがおり、トレーナーステーションが常設
され、ケアを受けることができます。サブトラック敷地内のトレーニング、会議室?
現在の最新情報では(10月27日)、がんばらんば大会のケアルームはここになるそうです。寒いからよいかも。



[10月21日]



連日、市内小中校の応援がすごいです。
昨日などは、諫農、諌高の全校応援も加わり、各県テントからも「地鳴り」のような声援が響き渡りました。
 各県の方がおっしゃるには、「こんなにすごい声援は聞いたことがない」とのこと、確かにわたし自身、国体は
長いですが、これほどの、長時間の大歓声・応援は経験がありませんでした。
ざわめきと喧騒の中on your markで一瞬で静寂になる会場・・・。
ただ、そのあとに続く「シ〜〜〜〜〜」on your markとセットで流れる肉声録音)に、子供たちは
クスクスザワザワしていました、ツボに入るのでしょう。
実は我が家の娘(小4)もいたのですが、見つけることはできませんでした。
普段格好良いところを見せることもないので、このときは良いチャンスと「仕事のお父さん」を演出したかったのに・・残念。

   森岡選手のこと

開会式では炬火も務め、レースでも5位入賞し、ファイナルラップでは大声援に手を振って応えていた森岡選手。
最近では50Kmなど「長距離」を専門としていましたから10kmという短い距離はあまり得意とはいえないはずです。
本人に「歩き方の違い」を尋ねたところ「かなり違う」そうで、短い距離は地面との反発を利用した歩きだとか。
考えてみれば、水泳でも「遠泳のそれ」は、通常の泳ぎとはストロークもキックも違いますから当然です。

今回の5位入賞で、彼がこれまで国体で稼ぎ出した総得点は何点だとおもいます?
なんと72点!    これね・・・いや、ヤバイです・・・。
知らない方に説明しますと、8位入賞って凄いことですよね?
そりゃ凄いことです、だって全国8番目ですよ。
でも、そんなに頑張ったのに、1点しかくれないんですよ、ケチですね。
つまり、72点とるには、「ものすご〜っく頑張って8位入賞した人」が72人も必要なんです。

思い返すと彼との出会いは、まだ中学生で長距離選手だったころ。
最終学年では、都道府県対抗駅伝にも出場するほど速かったですね・・・単独、諫早高校の練習に参加していました。
競歩に転向したのも高校2年の始めのほうたったように記憶しますが、決して遅かったわけじゃありません、15分少々/5km
だったのだから。
ただ、競歩の専門家が長距離の練習の一環で歩かせたところ、そのセンスがずば抜けていたと。
一見しただけで衝撃的なほどだったとか聞いています。

憶えていますか?2003年の長崎ゆめ総体。
あのとき、森岡選手は1位でゴールした歓喜の直後、悪夢のファール失格となりました。
その日以来、彼が失格になったことはただの一度もないのではないでしょうか。
よほど悔しくつらかったはずです、地元開催ですから。
今では『世界でも上位クラス』ともいわれるフォームで、森岡紘一朗選手は今日も歩き続けます。

  岩元選手のこと

岩元選手(先生)は、わたしにとって特別な選手です。
出会いは彼が少年B(高校1年?)で初めて国体にでた年、わたしもまた国体帯同デビューの年でした。
※1998年(神奈川ゆめ国体)

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